旧暦10月10日(平成28年11月9日)に全国から集う八百万の神々を迎える『神迎祭』(かみむかえさい)が、出雲大社から西へおよそ900メートルの稲佐の浜にて行われました。
ここは、歴史上で国譲りの儀が行なわれたと伝えられる地です。今年も、この神事を見守るべく全国から多くの人たちが集いました。私もかねてからの願いを叶え、この稲佐の浜にて全国から集う八百万の神々を迎える神事を体験することができました。
今回は1時間半前に、出雲大社近くの駐車場に車を駐車し、歩いて稲佐の浜へ向かいました。出雲大社からは、西へおよそ900mで稲佐の浜にたどり着きます。
そして、稲佐の浜の入り口で御幣(ごへい)を受け取り、催事が行われる浜へと向かいました。
初めて御幣(ごへい)を持っての神迎神事、内心ではワクワクドキドキです。
今回のガイド役は、ティクレ島根支部長さんに依頼しましたが、ご本人も初参加です。
そこで、出雲で神話の語り部ガイドの知人にしっかりと、神事の心得と指示を仰ぎました。
神事が執り行なわれる斎場の左右は注連(しめ)縄が浜へ向かって張り巡らされ、その先端は海へと続いています。そして、その中央には、勢いよく火の粉が舞い上がる御神火(ごしんび)が焚かれています。
雲の間から覗く月明りに波しぶきが青白く光を放っています。時折、静寂の中からゴォーっと高鳴りが聞こえ、波が次々に浜辺に打ち寄せてきます。
午後7時…。太鼓の音とともに祝詞(のりと)が上げられ、辺りに緊張の空気が流れ、粛々と神事が始まりました。神職たちが並ぶ前の祭壇には「龍蛇(りゅうじゃ)様」と、2本の「神籬(ひもろぎ)」が鎮座されています。「龍蛇様」は海から上陸される八百万の神々の先導役を担い、神々は2本の「神籬(ひもろぎ)」に宿ることになります。ここでのお迎え神事は30分程度で終わり、次の出雲大社へのご案内が始まります。
「龍蛇様」と2本の「ひもろぎ」は、それぞれ白い布垣で覆われます。その後ろに、笛や太鼓が続き、神職は「意宇(おうーーー)」という低い声(*)を発しながら、出雲大社の方へ神々を導きます。*神職の低い声は「警蹕(けいひつ)」と言います。
およそ1kmの『神迎の道』を歩く間中、休まず発し続けられています。その列の後ろに信者さんや参列者が続き、「龍蛇様」と「八百万の神々」の後を追って出雲大社へと向かいます。ちなみに、静粛な神迎の道を行く行列の間は、一言も発してはならず、今年の行列は200m程度になっていたようです。
一昔前までは、沿道の家々には「神様を見ると目が潰れる」と言い伝えられ、窓の隙間からそーっと覗き見て、神様が無事に出雲へお越しになったことを確認していたそうです。現在では、玄関先に出てその行列を見届ける家もあるようで、実際に何件かの家で見受けられました。また、この道いっぱいに広がる行列に出会ってしまった車は、しばらく行列が通り過ぎるのを待つことになります。どんなに急いでいても、「神迎の道」の道では、神様が最優先となるのです。
そして、いよいよ神々は出雲大社境内に入り、催事の行われる神楽殿へ向かいます。静かに拝殿と本殿の脇を通り、神楽殿の中央に用意された神様の通り道を通って「龍蛇様」と2本の「神籬(ひもろぎ)」が拝殿の神棚に鎮座され、およそ20分の間、静かにお祭りが執り行なわれます。
神楽殿での神事が終わると、2本の「ひもろぎ」はそれぞれの十九社へと納められます。「八百万の神々」は、16日まで本殿の東西に位置する19の社が連なる十九社にお泊まりになります。
神様のご加護でしょうか、地元の方に後でビギナーズラックと言われましたが、最後に神事が行われる神楽殿の中へ入るには、争奪戦となるので難しいのだそうです。神楽殿前は一時的に人だらけになり、大変混雑し、足元が見えないので要注意です。
そんな混雑の中、流れに身を任せて進んでみると、なぜかスムーズに神楽殿の中に…。そして、なぜか来賓者の近くで、神事の一部始終を見守ることができました。
神楽殿での神事を終えると、八百万の神々が出雲大社に入られる先導役を担われた「龍蛇様」のご神体が公開され、信者や一般者にも特別拝礼が許されます。参拝後、神楽殿前では御神餅(ごしんぺい)と、御神酒(おみき)を頂きました。「龍蛇様」と「八百万の神々」への感謝の気持ちとあわせて、そのご利益をしっかり賜りながら、神迎の夜が静かに更けていきました。
神々が滞在される7日間、私も出雲でご一緒できる幸せに、心から感謝しています。
余談ですが、八百万の神々はなぜ全国から出雲に、いったい何のためにお集りになるのでしょうか?
旧暦10月の神無月に全国の神々が出雲に集まるという伝承は、平安時代末の「奥義抄」以来様々な資料に記されています。また、年に1度、八百万の神々は出雲大社や佐太神社などに集まり、酒造りや縁結びについて合議されると、民間伝承では伝えられています。
大国主大神が天照大神に「国譲り」をなさったとき、「私の治めています『この現世(うつしよ)の政事(まつりごと)』は、皇孫(すめみま)のあなたがお治めください。これからは、私は隠退して『幽(かく)れたる神事』を治めましょう」と申された記録があるそうです。
この『幽れたる神事』とは、目には見えない縁を結ぶことであり、それを治めるということは、その『幽れたる神事』について、全国から神々をお迎えし会議をされるということ、そのためにこの信仰がうまれたと考えられています。
また、神魂神社やかつての佐太神社では、諸神の親神にあたるイザナミノミコトの法事のために、全国から八百万の神々は参集されると伝えられています。
神々が滞在される7日間は、稲佐の浜に程近い、出雲大社西方950mに位置する出雲大社の摂社「上の宮(仮宮)」で、縁結びや来年の収穫など諸事について神議りが行われています。また、神々が宿泊する宿となる出雲大社御本殿の両側にある御宿社「十九社」でも連日お祭りが行われます。
この祭事期間、神々の会議や宿泊に粗相があってはならないと、地元の人は宴を設けず、楽器を張らず、家を建てたりせずに、ひたすら静粛を保つことを旨とするので、「御忌祭(おいみさい)」ともいわれています。
また、「龍蛇様」とは、旧暦十月(出雲では神有月)になると、風が強くなり海が荒れてきます。この時期に出雲大社の近くの浜では、ウミヘビが打ち上げられることがあるそうです。その蛇の背は黒色で、腹はオレンジ色や黄色です。夜に泳いでいるところを照らすと、まるで火の玉が近づいてくるように見えるそうです。
最近は、海流の関係でなかなか上がらなくなったそうですが、昔は打ち上げられた蛇は出雲大社に奉納されていました。その蛇は、大国主大神のお使い神であり、八百万の神々が出雲に来られるときに先導される神様だと信じられ、人々は祝福をもたらす神「龍蛇様」とお呼びして、篤く信仰されてきたそうです。
全国的な龍蛇様の信仰は、水に住む「龍」の信仰からは火難、水難の守護神と仰ぎ、地に住む「蛇」の信仰からは土地の禍事、災事を除かれる大地主神と崇め、この二つの信仰が融合し一体となって、各々の家庭の開運、繁栄をお導きいただく「縁結びの神」「福を授ける神」として慕われています
この出雲の地での龍蛇様の信仰は、大国主大神のご神徳とともに全国に広がり、火災、水害から家を守る神様、豊作、豊漁をもたらす神様、そして「開運の神様」と崇められてきました。また特に関西では商売繁盛の神様としても熱心に信仰されているようです。
また、大和朝廷が出雲の龍蛇神の霊力を重視したのではないか、という説があります。古事記や日本書紀を読むと、出雲の存在が非常に大きく扱われており、「毎年、西方からの荒れる海流に乗って寄り来る霊妙な龍蛇を迎えて祭り、出雲の王はその自然的霊威力を自らの霊肉に受け取り、その祭祀王としても文化的霊威力を更新しつづけていた祭祀王であったと考えられているようです。
つまり、大和の王は強大なエネルギーを持つ出雲の王と、出雲の龍蛇神の霊威力を取り込みたかったようです。歴史にも残る伝承として、龍蛇様の信仰も重要な位置づけにあるようです。