十五夜「中秋の名月」

9月に入ってからの台風や秋雨前線の影響もあって、ここ最近の関東では、お月様を見る機会に恵まれていません。

 

暦上では、明日(9月15日)が、旧暦の8月15日となり、十五夜「中秋の名月」です。

 

ただ、実際の満月は、9月17日になるので、少しズレています。なので、明日の「中秋の名月」は、古くからの習わしによって行なわれているものです。

 

昔の中秋の名月の頃は、暑くも寒くもない気候で、空気が乾燥して、月が鮮やかに見えるため、美しい名月を観賞するにふさわしかったようです。

 

お月見の風習が生まれたのは、単に月が美しいからという理由だけではなく、古代中国では、月が満ち欠けすることから、欠けても必ず満ちることから、「不老不死」の象徴とされていたそうです。

 

日本でも、月には神様が宿っていると信じられていました。月の神様は、日本神話の神である「月読命(ツクヨミノミコト)」です。出雲大社にも祀られており、神話でも有名な天照大神(アマテラスオオミカミ)の弟で、須佐之男命(スサノオノミコト)の兄になります。

 

十五夜の行事は、平安時代から始まり、宮中からやがて庶民へと広がっていきました。昔の農業は、月の満ち欠けを目安に行なっていたので、農作物の豊作か凶作かを、この時期の十五夜に綱引きをして占っていたそうです。

 

また、その日の天候が悪くて、十五夜が見れない場合にも、ユニークな名月の呼び名があります。具体的には、曇りでよく見えないときは、「中秋無月(ちゅうしゅうむげつ)」と呼び、雨天で全く見えないときは、「雨月(うげつ)」あるいは「雨名月(あめめいげつ)」と呼んで、中秋の名月の呼び名を変えて行事を行なっていたようです。

 

見えない月にまで、呼び名をつける昔の人の知恵は素晴らしいですね。それだけ、暮らしの中に「月の満ち欠け」が深く関わっていることがうかがえます。

 

近年においては、気象現象に変化があるので、昔のようなベストな気候条件ではないないかもしれません。それでも、「中秋の名月」を愛でる習慣は続けていきたいものです。もし、十五夜の姿が見れない時には、他の呼び名を思い出してみてくださいね。

 

また、10月13日は旧暦の十三夜になり、もう一つの「中秋の名月」を楽しめます。十五夜のお月見をされた人は、縁起担ぎにこちらのお月見もお忘れないように...。

 

「十五夜」と「十三夜」をあわせて、お月見ができると、五穀豊穣の神様たちのご利益が高まりそうです。五穀豊穣とは、もちろん陰陽五行説から米・粟・麦・豆・キビの五穀が豊かに実るという意味がありますが、収穫された穀物に感謝することで、人の心の豊かさも育てる意味も秘められています。心が豊かになれば、決して人と物を奪い合ったり、争ったりはしないでしょう。

 

物が足りなければ、自分の物を他者と分かち合う、優しさが生まれます。自然の恵をあたり前のように思い込んでいる人が多いようですが、今ある自然は先人が守ってくれたからこそ、成り立っているのです。安全な水が飲めるのも、安全な作物が食べられるのも、安全な海産物が食べられるのも、全て先人の人たちの努力のお陰なのです。

 

ただ、消費するだけの環境をあたり前にしていると、確実に安全で安心な食べ物が減少していきます。今の飽食時代の中で、個人レベルにおいて、環境の改善と食の安全を考えた食生活の改善(栄養バランスの取れた安全な食品を食べること)が必要に迫られていることは確かでしょう。

 

それ故、私たちが豊かな自然の本質に触れるためには、もっと自然環境を整えていくことを意識していくことが大切になります。将来を担う子供たちに、今の限りある自然を、いかに残してあげられるのか...。今からでも、一人ひとりが環境汚染を防ぐために身の周りのECO(エコ)活動を実践していくことが必要でしょう。

 

飽食に慣れ過ぎた生活の中で、生活をいかにシンプルにしていくかは、容易いことではないかも知れません。このところ起きる自然災害(地震・台風・温暖化)や、人工災害(汚染廃棄物による環境汚染や地球温暖化・経済不況による暴動・武器開発による戦争など)については、宇宙の摂理に反することへの警告なのかもしれません。

 

宇宙のバランスを担う責任は、私たちに課せられ、未来にこの地球が存在するかどうかまで問われているように感じられます。個人レベルの課題、強いては社会全体・地球全体の課題として、宇宙から問われているように感じます。

 

これは、9月17日の魚座の月食のテーマにも関係しています。